屋敷の被災で震度分布を解明
大正12年(1923)の関東震災(M7・9)と、元禄16年(1703)に関東を襲った元禄地震(M8・2)は、約200年間隔で繰り返されている同じタイプの巨大地震である。いずれも相模トラフのプレート境界面のすべりによって発生する。
同タイプの次の巨大地震が首都圏に再来すると、東京中心部の震度は、どのようになるのだろうか。それを予測するには関東震災だけでなく、元禄地震での揺れ方も知っておきたい。そう考えていたところ、古い文献に行き着いた。大名屋敷や旗本屋敷の破損程度が記されている。
鵜殿十郎左衛門(外長屋潰)、蜂屋主斗(塀損・本宅半潰)、大沢主膳(門塀潰)、中山主馬(練塀崩)、三枝日向守(長屋居宅共損)-などという具合だ。
しかし、これだけでは屋敷の位置がわからない。困っていたところ、研究室の伊藤純一理博が元禄15年発行の「改撰・江戸大絵図」を見つけてきた。江戸の全屋敷と武士の名前がびっしり書かれている。この地図を詳しく点検すると、江戸城の北、竹橋の北の一画に「ウドノ、ハチヤ、大サワ、中山、三枝」の屋敷がほとんど隣り合って並んでいたのだ。
彼らの屋敷の近辺には田安門や竹橋が位置している。田安門は今も靖国神社の入り口の南側道路向いにある。竹橋も国立近代美術館の近くに現存している。
これらをもとに現代地図と重ねると、鵜殿宅は現在の神保町交差点の北西角すこし北よりにあったことが判明する。東京都千代田区神田神保町2丁目14番地だ。
外長屋全壊から推定して、震度6強の場所だ。ここから三枝宅までは、現在の白山通りにそってJR水道橋駅方向に200メートルほどの区間に当たる。同16番地付近の蜂屋宅は震度6弱。その北の大沢宅は同24番地付近で震度5強。中山宅は白山通りの向い側(東側)で神田神保町1丁目52番地付近。震度は5強にとどまった。三枝宅は再び白山通り西側に戻って神田神保町2丁目26番地付近。ここも震度5強にとどまっている。
かくして、約300年前の元禄地震による神田神保町の震度が、現代地図のブロックごとに解明されたのである。
関東震災という1回の地震だけでは、法則は引き出せない。そこに元禄地震というもう1つのデータが加わって、法則が明らかとなる。今、われわれの研究室では歴史上の巨大地震ごとに、市街地図にピンを刺すような細かさで震度分布の解明作業を進めている。
残念なことに、江戸時代に博学な伊藤理博は、平成19年12月23日、千葉県柏市で死去された。この文を御霊前に献げて冥福(めいふく)をお祈りしたい。
(つじ・よしのぶ 東大地震研究所)
2008.03.31 産経ニュース
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